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どのような考えを持ちながらとりなし祈るのか?

とても嫌な言い方かも知れませんが主から受け入れられ易い祈りと受け入れられ難い祈りがあります。その差は何なのでしょうか?単刀直入に言えば主の契約のみ言葉に沿って祈っている祈りなのか、沿っていない祈りなのかの差です。確かに心を注ぎ出して祈る祈りは聞かれる可能性があります。しかし、私も心を注ぎ出して祈る祈りをする時もありますが、とても重たい祈りで毎日できる祈りではないと感じています。(笑)では、毎日どのようにとりなし祈れば良いのでしょうか?例えばヤコブの場合を思い出して下さい。創世記32章24~28節には「ある人が夜明けまで彼と格闘した。ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」と書かれています。28節にはヤコブは神と戦って勝ったと書かれていますが、通常は人間が神と戦って勝てる筈がありません。この意味は「契約によって祈りの答えを勝ち取った。」と考えた方が正しいと思います。


ヤコブが神に勝てた理由は創世記28章13~15節です。ここには「そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」と書かれています。ヤコブはこの主が語られた約束を主に成就して下さるように求めたので主が勝てなかっただけです。もし、主がヤコブに「わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。」と約束されなければ、主はヤコブに勝ちを譲る必要はありませんでした。モーセの場合も同じでした。出エジプト記32章9~14には「主はまた、モーセに仰せられた。「わたしはこの民を見た。これは、実にうなじのこわい民だ。今はただ、わたしのするままにせよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民としよう。」しかしモーセは、彼の神、主に嘆願して言った。「主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から連れ出されたご自分の民に向かって、どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか。また、どうしてエジプト人が『神は彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ』と言うようにされるのですか。どうか、あなたの燃える怒りをおさめ、あなたの民へのわざわいを思い直してください。あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを覚えてください。あなたはご自身にかけて彼らに誓い、そうして、彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のようにふやし、わたしが約束したこの地をすべて、あなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれを相続地とするようになる』と仰せられたのです。」すると、主はその民に下すと仰せられたわざわいを思い直された。」と書かれています。ここでも主がモーセに勝ちを譲られたのはモーセの口から、アブラハム、イサク、ヤコブに与えられたご自分の契約が語られたからです。


では、どうして主は聖書の中にご自分が不利になるような契約を残しておられるのでしょうか?答えは簡単です。「私達の祈りを聞き入れて下さる為の口実を造って下さった。」という事です。ヨブ記1章6~11節を読めば分かりますが、悪魔は主の前に出ていつも私達の罪を裁いて下さるように訴えているのです。そして、その悪魔の語っている事は嘘ではなく事実なのですから、そのままでは、義なる神である主は私達を裁かなければならなくなります。でも、愛なる神である主は私達を助け、祝福したいので、私達の身代わりとしてイエス様を十字架に送って私達の罪を負わせて下さいました。それだけではなく、私達の祈りを聞く為に聖書の中に沢山の契約を書き込んで、私達がこれらの契約のみ言葉をもって主に求めていけば、主が私達の祈りを聞かなければならない状態をご自分で造られたのです。このようにしてまで、私達のとりなし祈りを聞いて人々を助けて祝福しようと与えて下さった契約のみ言葉を使わないで祈る祈りが主に聞き入れられなくても仕方ないと思いませんか?そしてヘブル6章18節には「それは、変えることのできない二つの事がらによって、神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません前に置かれている望みを捕らえるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。」と書かれていますが詳訳聖書には「それは変える事の出来ない神の約束と神の誓いによって偽る事ができません。」と書かれていますので、主の契約に従ってとりなして祈って下さい。熱心に祈る事は良い事ですがローマ10章2節には「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。」と書かれています。とりなしの祈りをされる時には契約のみ言葉に沿った祈り方をする事が必須になってきます。今回も長くなってすみませんでした。続きはまた次回にさせて頂きます。最後まで読んで下さり有難うございました。










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