このような事がみ言葉から理解できると、祈った時に力が現れるのですが、「私は罪人です。」と信じている人の祈りは聞かれません。何故ならヨハネ9章31節に「神は罪人の祈りは聞かれません。」と書かれているからです。しかしⅠペテロ3章12節には「主の目は義人の上に注がれ、主の耳は義人の祈りに傾けられる。」と書かれていますので、「クリスチャンは義人である。」と理解しなければ祈りは聞かれる可能性が低くなります。しかし、そうなると「私達が義人だとどこに書いてあるのですか?」と思う方達が多いと思います。
でも、あなたがイエス様を信じた時に「イエス様が私達の罪の為に死なれ、三日目に甦られた。」と信じてクリスチャンになった筈です。ローマ4章25節には「主イエスは、私達の罪の為に死に渡され、私達が義と認められる為に甦られたからです。」と書かれていますので、イエス様が甦られた事を信じている人達は「イエス様は、私達が義と認められる為に甦られたのですから、自分は義とされている事を信じなければならない。」という事になります。
このような事が理解できるようになってくるとみ言葉の約束によって「自分の祈りが聞かれる。」という確信が出てきます。このようにして、少しずつ祈りが聞かれる為の信仰を成長させていく必要があるのです。
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