Ⅰペテロ1章7~9節には「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」と書かれています。たしかに栄に満ちた喜びはあります。私は何度か体験させて頂いていますが、躍り上がりたくなるような喜びです。この栄えにみちた喜びを体験すれば必ず信仰が成長して行動的になります。私の一回目の体験は35年前にドモリから解放された時です。人から逃げ回っていた私に「東京に行って人々にみ言葉を教えなさい。」と、主からの声を聞いて震えあがりましたが、勇気を出してシドロモドロで人々の前で話していましたら10分後に流暢に言葉が話せるようになり、聖会が終わった時に「やったー。」と内側から喜びがほとばしりました。栄えに満ちた喜びをもっと体験したくなって色々チャレンジするようになりました。
二回目の体験は大阪聖会にバイクの事故で踵が飛んで行った人が来られて「踵は再創造それますか?」と聞かれたのですが、そのような体験は有りませんでしたが「創造されると信じます。」と答えましたが、一人で祈るのは恐くて、聖会に来られた方達と一緒に信仰を持って10分位祈りましたら、その男性が「踵が造られているような感じがします。」と言われたので思い切って、両足の踵で歩いて頂きました。祈る前には踵で歩けなかったのに、シッカリと歩けるようになって、その男性が泣き出してしまいました。同時に会場で歓声が上がり、皆さんが大声で主を褒め称えていました。鳥肌が立ちました。その後にも数回、栄えに満ちた喜びを体験する事ができてとても幸せです。一度、この栄えに満ちた喜びを体験すると、また体験したくなって信仰のチャレンジをするようになります。すると、いつの間にか信仰が成長しています。次回は、どのようにしたら栄えに満ちた喜びを体験できるのかを語りますね。時々しか更新出来なくてすみません。次回は出来るだけ早く更新するように努力しますね。「栄えに満ちた喜びを得る為の110の重要聖句とその解き明かし」というタイトルの本を書き終わっていたのですが、眠い目をこすりながら書いていたので、み言葉が幾つか抜けていて編集が大変でした。いつも椅子に座っての執筆作業ですからお尻が痛くなりましたが、何とか終わりました。まだ色々やらなればならない事がありますが、近日中に「栄えに満ちた喜びを得る方法Ⅱ」をあげるようにしますので次回をお楽しみに。
Comments